メタバースの可能性とその限界

半年ほど前、私の伯父が亡くなりました。コロナ禍の真っ只中でした。89年の人生を十分に全うしたと思います。私が中学生の頃、父は単身赴任で別居していたこともあり、伯父にはとてもお世話になりました。同じようなことに興味があり、いろいろなところに連れて行っていただきました。そして、私が大学に入りそして就職した頃には、もう会う機会はあまりありませんでした。最近では、親族の葬儀ぐらいでしか会う機会はなく、そのときには二言三言の会話をするくらいになっていました。

一昨年、私は「中国工場トラブル回避術」という本を出版し、その本をすぐ伯父に贈りました。伯父が亡くなった後、その奥さんである伯母から私の母に電話があり、「淳君(私)の本が本棚に2冊あったの」と言っていたと聞きました。出版する連絡は何もしていませんでしたが、ちゃんと私を見ていてくださったことには、とても嬉しく思いました。

ある日、その伯父の娘であるいとこから電話がありました。そのいとことも、今はもう話す機会は全く無くなっていました。突然の電話に私は少し驚きながらも、その内容はだいたい察しが付いていました。しばらくの雑談の後、いとこは「父が亡くなったの」と言いました。私は、年齢的なことからそろそろの時期であることも分かっていたので、特に驚くこともなくただいとこの話を聞いていました。

私からも、昔ずいぶんお世話になった話などをして会話も終わりに近づき、私が「で、告別式とかは」と言おうとしたところ、いとこは「それで、お通夜と告別式のことなんだけど、今のコロナ禍のことだから」と説明を始めたのです。私は、今のコロナ禍では葬儀でも親族が集まることは世間でも辞めていることは知っていましたが、この電話での会話のときにはそのことが頭からすっかり抜けており「あっ・・・そうなんだ、でも、そっか・・・」と束の間茫然としてしまったのでした。そして、このあと不思議な感覚が襲ってきたのです。「えっ、じゃもう2度と会えないってこと」と思った瞬間、涙がどっと出てきたのです。いとこにも、電話越しに私のしゃがれ声で涙を流していることが分かり、一緒に涙声での会話となりました。

電話が終わり、何であんなに涙が出たのだろうとしばらく考えました。もし、伯父が生きていて直接会ったとしても、特に多く話すことはありません。「お元気にしていますか」と言うくらいです。だから、亡くなっていてもそれは同じようなことで「昔はありがとうございました」というくらいです。でも、それがコロナ禍で出来なかったのです。会って直接言うことができないことからの涙だったのです。亡くなっているのだから、お礼を言ってもその反応はもちろんありません。それを分かっていても、直接会って言いたかったのです。でも、このときの「会う」ことで得たい感覚はいったい何だったのだろう?と思いました。大きな自然災害で、親子や知り合いが亡くなってしまい、「せめて亡骸だけでも」という気持ちと同じ感覚と思います。直接会うことが大切なのです。でも、「会う」ということで、何の感覚が得られるのでしょうか?

最近はメタバースが大流行です。あのFacebookは会社名をMetaにするくらいの気合いの入れようです。伯父の話が長くなりましたが、今回のコラムでは、このメタバースの可能性とその限界について書いてみたいと思います。

人同士の情報のやり取りの方法は、大昔の頃はもちろん会って話す、見る、聞くであり、その代替の方法としては手紙があったと思います。大河ドラマでは、そのような場面が多くありますね。現代では、それがパソコンやスマホのメールになっています。

そして、その次が電話となります。電話とメールは順番が逆かもしれませんが、メールは文字であり「話す」「見る」「聞く」の代替手段(コラム参照)なので、一番目に書きました。ある初対面の人と仕事など何かを一緒にしたい場合、それを始める前にはやはり直接会っておきたいものです。その場合、事前にメールを送り面会場所を決めてリアルで会うのが今までのやり方です。そして、メールと面会の間には電話が入る場合もあるでしょう。さらに最近では、さらにその間にZoomなどでのWeb会議が入ることもあります。そして面会にたどり着くのです。

最後が面会と書きましたが、内容によってはメールや電話、Web会議で十分にこと足りることもあります。それを緑字で例として書きました。待ち合わせ場所の連絡はメールで十分でしょう。電話だけでもかまいません。会社での会議はWebで十分な内容もたくさんあります。現在、実際に行われていますね。コンサートやテニスなどの運動、飲み会はやはり面会が必要と思います。コロナ禍の初期の頃、Webコンサートをサザンオールスターズが開催して、一時は盛り上がるかとも思いましたが、今はすっかり下火になってしまいました。男女の恋愛は、やはり直接会わないとお互いの思いはなかなか伝わらないです。

このような位置づけで考えると、メタバースは面会の前に入ると思います。メタバースを、この図の中には存在しない全く別の概念として捉える人も多くいると思いますが、私にはその概念がまだ想像できないので、このように位置付けました。

まず、横軸の「感覚」を説明します。面会では五感で相手を捉えます。見て聞いて、一緒に食事すればその味も相手の印象に残り、香水の匂いを感じることもあります。工場で面会すれば油の臭いもあるでしょう。相手や何かの物に触れれば、その感触があります。一緒に車に乗れば加速のGを共に感じます。でも、これは一般に言われる五感に入っていません。

では、メタバースはどうでしょう。メタバースはスピーカー付きのモニターを用いて行います。だから、視覚と聴覚だけになります。臭覚や触覚を伝えて感じられる方法が開発されていますが、実際の導入例は聞いたことはありません。つまり、メタバースでは味覚と臭覚と触覚がないので、視覚と聴覚だけで内容を伝えることになります。英会話の学習や試着とかしない買い物なら、メタバースだけでもできると思います。

簡単な買い物はメールだけでもできる場合もあります。ネットでの買い物はメールに写真が添付されたようなものです。Web会議も視覚と聴覚で十分な内容がほとんどです。実際に現在、リアル会議のかなりがWeb会議で代替されています。普通の相談もWeb会議で十分なものが多いです。そして、電話は聴覚だけ、メールは文字だけとなります。

では、次に縦軸の説明をします。それは、メール、電話、Web会議、メタバースの特徴となっています。「場所をワープ」とは、どこからでも参加できるという意味です。「人数制限無し」はリアルの会場がなく、Webの中の空間に人が無制限で入れるということです。「非現実の創出」とは「竜とそばかすの姫」のような世界で、リアルでは表現出来ない世界を創り出せることです。「異現実の結合」とは、人が自宅にいてWeb上で旅行に行くようなことです。「匿名性」はアバターを使って匿名にできるということです。

出典:スタジオ地図

図には書いてありませんがこれらの他にも、交通事故はなく見知らぬ人に勧誘される危険もない「安全性」と、面会の場所までの交通費がいらずパソコンなどの電気代だけで済む「低コスト」があります。ただし、それらは全部に共通した特徴なので省きました。

これらの特徴を活かした使い方が、青字で書いた内容です。電話は聴覚の感覚しかありませんが、場所をワープして情報を伝えられるので、今の時代でも活用されているわけです。Web会議も同じく場所をワープして在宅して遠隔からでも参加でき、さらにリアルの会場がなくても100人以上が集まることもできます。リアルで100人が集まるとなると、場所探しが大変で高額な費用が必要です。そして、メタバースは味覚と臭覚、触覚がないので若干の物足りなさがあるかもしれませんが、かなり活用範囲が広がります。

その理由は、「場所をワープ」と「人数制限無し」の特徴に加えて、「非現実創出」と「異現実の結合」、「匿名性」があるからと考えます。バーチャルコンサートでは現実にはあり得ない、照明や舞台を作ることができます。また、観客も数十万人での盛り上がりを作り出すことができます。「竜とそばかすの姫」の世界では、「非現実の創出」に加えて「匿名性」が大きなメリットになっていると思います。

出典:スタジオ地図

バーチャル渋谷では、コロナ禍で実現しできないイベントを開催し、「異現実の結合」ができます。製造業のシミュレーションは、例えば人と工場の設備をWeb上で配置して、その稼働を問題なく行うことができるか事前に確認することができます。このときに、既存の工場の設備をWeb上のデータに反映しつつシミュレーションを行うことを、最近はデジタルツインと言っています。これも「異現実の結合」になります。

出典:KDDI

メタバースにはこれ以外にも、もっと多くの特徴があると思うのですが、私が理解して範囲ではこれくらいです。しかしよく考えてみると、メタバースの持っている感覚は視覚と聴覚の2つのWeb会議と同じになります。しかしながらこれらのように活用範囲が広いのは、視覚の中の空間的な感覚が「非現実創出」と「異現実の結合」を作り出しているからと思います。視覚は没入すると、人に別の感覚を与えることができるのではないでしょうか。映像を見ているだけで車に乗っている感覚になったり、高所に立って怖い感覚になったりします。

この没入感をメタバースではなるべく増強したいので、VRヘッドセットを使うことが勧められているのです。もちろん無くてもできると思いますが、没入感が薄れてしまいます。私はこれを空間感覚と言うことにしました。本当は、学術的な用語があるかもしれません。メタバースには、五感とは別の空間感覚があるのが特徴なのだと思っています。Web会議ではできないことです。匿名性に関しては、メタバースで取り入れても良いし、匿名にしなくても良いと思います。内容によりけりです。Web会議は基本、顔出しなので匿名にはなりません。

ここで話が最初に戻るのですが、私が亡くなった伯父と直接会って得たかった感覚は何の感覚だったのでしょうか?五感の組み合わせで発生する何か別の感覚があったのでしょうか?私は亡くなった叔父に会うことによって何かの感覚を得たかったのに、それができなかったことが残念で涙したのだと思っています。その感覚は何だったのか、今でもよく分かりません。ここではその感覚を「メンタル感覚」と名付けました。この感覚は面会だけで得られるものではなく、電話でもメールでも得ることはできます。

これから、メタバースが流行りだすと、人との面会が減っていくと思います。現在でも、コロナ禍のため、ほとんどの面会はWeb会議で代替しています。しかしながら、コロナ禍が終わったあともこの形態は変わらないで続くと思っています。仕事内容によっては、協力してくれる仲間に一度も会うことなく、メタバースだけで仕事を進めて完結する時代がこれから始まるかもしれないということです。もちろん、今でも電話だけで仕事を進めて完結することもあるので、面会に近い選択肢が増えたということで、より便利な時代になってきたとも捉えられます。しかし私は、メタバースで全てを完結することが普通になってしまうと、メンタル感覚が足りていない成果物ができてしまうのではないかと危惧しています。例えば、新築の家を建てる場合、住宅メーカーが顧客の要望をほとんど電話だけで聞き仕事を進めてしまったばかりに、顧客の思いに沿った家にならなかったみたいなことです。

もちろん使い分ければ良いのですが、人は楽な方に流れるのが常です。メタバースがあまりに便利になってくると、もしかしたら人と会うことは面倒と思い始め、メタバースでほとんど全ての人間関係を構築して仕事を完結してしまい、メンタル感覚が足りない成果物が普通と思ってしまうことにもなりかねないと思うのです。まだ今生きている人は、面会との違いを理解できるので使い分けができると思いますが、メタバースがほとんどの面会を代替するような時代になり、直接面会との違いが理解できない世代が誕生してくると、メンタル感覚が足りない成果物であることにも気付かないのです。映画「サロゲート」は、まさにその世界を描いた作品です。とても虚しい世界が広がっています。

メタバース家族やメタバース彼氏/彼女には絶対にメンタル感覚が足りていません。仕事でもそれは同じで、メンタル感覚なしが基本になってくるとそれなりの成果物となるのです。便利を得た代わりに、失うものも大きいかもしれません。でも、電卓が普及して計算力が弱る、自動車が普及して脚力が落ちる、技術の進歩とはこのようなもかもしれません。

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